SEAプロジェクト プレイベント
日本は東南アジアの現代美術にいかに関わってきたのか? シンポジウム プレゼンテーション概要

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開会のあいさつをする南雄介国立新美術館副館長兼学芸課長

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文/米田尚樹

後小路雅弘氏は、かつて福岡市美術館と福岡アジア美術館で学芸員として働いた経験から、アジア美術と日本の関わりについて発表しました。福岡アジア美術トリエンナーレの前身である第1回目の「アジア美術展」を企画した1979年には、今日以上にアジア美術に関する情報量が少なく、またそれらにアクセスする方法も限られていました。そのため、調査は東南アジアのキュレーターやアーティストたちに頼らざるをえず、展覧会は日本の美術館のキュレーターが主導権を握るというよりも、むしろ、同氏の言葉を借りれば、「あなたまかせ」なものとして実現されました。その後、継続的にアジア美術に関する展覧会の開催を重ねるにつれ、1990年代以降に紹介した作家たちは社会的・政治的な問題や身辺的な現実を取り扱う傾向が顕著になり、インスタレーションやパフォーマンスといった手法がアジア諸国に広がっていったということです。同氏は発表を、アジア美術の展覧会を企画することをつうじて、欧米中心のひとつの制度としての美術、ないしは美術館のあり方を見直す視点を絶えず確保することができた、と締めくくりました。

古市保子氏は、国際交流基金におけるアセアン文化センター(1990-1995年)、アジアセンター(1995-2004年)の活動を中心に、その変遷について発表しました。1972年に外務省の管轄下に特殊法人として設立された国際交流基金は、2003年に独立行政法人として改編されました。その分科として1990年にアセアン文化センターを開設、アジアセンターと名称を変えて活動した後でいったん事業を休止し、2014年に改めて現在のアジアセンターが設立されました。アジアセンターの美術関連事業における主たる目的は、アジア美術に対する日本の鑑賞者の理解を深めること、アジア地域のプロフェッショナル間のネットワークの構築と強化、アジア地域の研究者や批評家たちによるシンポジウムの開催とそれに伴う言説の創造、および日本の現代美術のアジア地域への紹介などです。展覧会の形式は、個展、国別、テーマ別、地域別など多種多様ですが、特筆すべきは、アジアセンターの展覧会事業では多くの場合、複数のキュレーターによって展覧会が企画され、その過程において日本とアジア諸国のキュレーターのあいだに強固な連携が確立されてきたことです。

霜田誠二氏には、世界各地で行っている自身のこれまでの芸術活動について、映像を交えながら紹介してもらいました。1970年代後半から日本でパフォーマンスを中心とした芸術活動を始めた霜田氏は、1993年に日本国際パフォーマンスアートフェスティバル(NIPAF)の活動を始め、96年からはアジア諸国での開催も実現させました。NIPAFのアジアでの展開をつうじて、霜田氏は東南アジア諸国のパフォーマンスアーティストたちに直接的であれ間接的であれ多大な影響を与えています。霜田氏の活動の事例として、ハノイ(ベトナム)で行われたチャン・ルーンによるパフォーマンスや、ヤンゴン(ミャンマー)で行われた霜田氏自身のパフォーマンスが紹介されました。パフォーマンスアートが東南アジア諸国の一部できわめて活発な理由のひとつに、作品が物質として残らないため当局による検閲の眼から逃れられる、という理由を挙げていました。

以上三者のプレゼンテーションのいずれもが、個人的な見解では、いま私たちが進行しているSEAプロジェクトにおいても響き合う部分が多く、またプロジェクトを引き続き進行するにあたって見直すべき点を指摘してくれているようにも感じました。後小路氏も示唆したように、東南アジアの現代美術に関する情報源の欠乏は、主として情報へのアクセスの困難と言語の問題に起因します。SEAプロジェクトでは東南アジアのキュレーターたちと協働することでこの状況を解決しようと試みていますが、いまなお大きな問題として立ちはだかっています。また、国際的文脈から俯瞰すれば、東南アジアの現代美術は、福岡はもちろんのこと、1990年代からはシンガポールやオーストラリアでもその展覧会が積み重ねられてきました。その一方で昨今では、アメリカ(「No Country: Contemporary Art for South and Southeast Asia」展、グッゲンハイム美術館、ニューヨーク、2013年)やフランス(「Secret Archipelago」展、パレドトーキョー、パリ、2015年/「Open Sea」展、リヨン現代美術館、リヨン、2015年)など欧米の美術館でも紹介されています。また、霜田氏が指摘したように、東南アジアの一部の国では検閲を逃れるために物資的痕跡を残さないパフォーマンスが盛んですが、検閲の問題に加えて、東南アジアにはホワイトキューブの展示空間が少ないという事実もこの傾向を助長しているでしょう。そして、こうした表現形式は、もはや美術館やギャラリーといった制度批判の姿勢を示しているというよりも、パフォーマンスアート、ソーシャリーエンゲージドアート、アクティヴィストアートといった身体を用いた表現が東南アジアのみならず国際的に再評価されている状況を顧みれば、むしろ現代美術のひとつの潮流として捉えることができるのではないでしょうか。

編集: 村上樹里(in between)、佐野明子(国際交流基金アジアセンター)
写真: 御厨慎一郎
写真協力: 森美術館

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