SEA プロジェクト プレイベント3-4
特別上映+トークショー
「映画から見るシンガポール・マレーシアのアイデンティティ」 トークショー(2/3)

ブー監督について語る松下氏
シンガポールについて語る滝口氏
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武田

松下さん、シンガポールの映画界におけるブー監督の立ち位置、認知度、評価について教えていただけますか。

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松下

ブー監督は、生真面目なぐらい真摯に作品に取り組んでいます。コマーシャルといった商業的なものは撮らず、映画に集中したいという芯の通った姿勢が感じられます。『Sandcastle』もそうですが、ブー監督はさまざまなシンガポールの課題に切り込みながら、娯楽作品として質の高いものに仕上げる手腕があります。昨年東京国際映画祭で上映された長編二作目の『見習い』でもそれは見て取れます。シンガポールは死刑制度があり、麻薬に関与した場合、単なる運び屋でも極刑となる場合があります。この現実に疑問を呈することが映画の出発点だったとしても、それを直接には描かず、絞首刑執行者の師弟関係の物語を通して暗示させるわけです。作品で問題に対して直接的な抗議を表現するのではなく、ストーリーにうまく盛り込むブー監督の手練れは他の分野でも発揮されています。彼は「Pink Dot Sg」というLGBTの権利のための運動を推進するひとりですが、声高に叫んだりデモをしたりするのではなく、ピンクの服を来て公園に集まるというソフトなアプローチで大きなムーヴメントをつくっています。

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武田

さきほど米田さんからあった通り、ブー監督は「サンシャワー展」で美術作品を展示する予定ですよね。

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片岡

内部でディスカッション中ですが、「サンシャワー展」には《Happy and Free》(2013)という作品を出品する方向で話しています。《Happy and Free》の背景ですが、1963年にマレーシアがボルネオ島のサバそしてサラワクを含めマレーシア連邦として独立しました。シンガポールがその翌々年の1965年に独立していなかったらと仮定し、マレーシアのサバとサラワクの合併50周年を、マレーシアの一部であるシンガポールもともに祝っているという設定でさまざまな関連資料的作品をつくりました。この作品は2013年のシンガポール・ビエンナーレ(Singapore Biennale 2013)のために制作されました。資料展示の奥にはカラオケルームがあって、1963年の合併を祝う歌「Happy and Free」を来場者がカラオケで歌えるようになっていました。シンガポールの人々に対し、彼の考えたストーリーの理解・体験を通じともにお祝いするような立場に来場者を立たせながら、「もしあのとき独立していなかったら」ということを考えさせる作品です。この作品を展示することについて、ブーさんは「日本はカラオケ発祥の地だし、楽しい要素もあるのでこの作品を展示するのが良いんじゃないか」と話していました。

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武田

来場者の私たちも会場で歌えるということですか。楽しみですね。片岡さん、シンガポールからは他に、どのような作家・作品が出展予定なのでしょうか。

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片岡

リー・ウェン(Lee Wen、1957-)というアーティストがいます。彼は1990年代に〈イエローマン〉(Yellow Man)という作品シリーズで有名になりました。私も若かりしころ彼のパフォーマンスを見ましたが、黄色人種の表象として全身を黄色く塗って公道を移動していました。どういう文脈に置かれるかによってどのようなアイデンティティを自覚するか、また喚起するかは違いますが、もともとイギリスで彼のパフォーマンスが始まったということもあり、彼は白人社会のなかに置かれることにより自らが黄色人種であるということを意識したことを強調していました。

その他には、アマンダ・ヘン(Amanda Heng、1951-)を紹介予定です。彼女はリー・ウェンと同じくらいの世代で、アーティスト・ヴィレッジ(The Artist Village)でも活動をしていた人です。彼女は女性であるということと、個人的なアイデンティティというものを追求していて、1996年に母との関係に対峙する〈もうひとりの女〉(Another Woman)シリーズを発表しました。母娘の関係から、同じ女性である関係に移行して理解を深める写真シリーズです。その20年後、〈20 years later〉(2016)というシリーズを制作しています。白髪になったアマンダと母が、当時と同じポーズで写真を撮るというものです。この両方を相対して展示する予定です。

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武田

滝口さんは、先ほどお伝えしたようにシンガポールの舞台芸術シーンについて最もよく知る日本人ではないかと思います。滝口さんからご覧になって、映画や美術とは異なる、舞台芸術における「アイデンティティ」の表象の方法があるとすればそれは何でしょうか。

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滝口

事前にそういうお題をいただいていましたので、今日は公演の模様を撮影した映像を用意しました。私も参加して制作した、 W!LD RICE(ワイルド・ライス)という劇団の『Hotel』という作品です。『Sandcastle』のエンドロールを見ると、この『Hotel』を書いた劇作家のアルフィアン・サアット(Alfian Sa’at、1977-)とW!LD RICEの名前がクレジットされています。この作品は、シンガポールが独立する前と独立した後の50年ずつ、全部で100年を扱っています。

今流れているのは第1場、1915年、まだイギリスの統治下にあった時代を描いています。ふたりのイギリス人がプランテーション経営のためにシンガポールへやってきます。この作品の舞台となるホテルに到着して、ベルボーイとやり取りをするという場面です。イギリス人が「君たちも英語を話すんだね」と話しかけ、それに対してベルボーイの男性――インド出身でウルドゥー語が母語です――がたどたどしい英語で返事をするというシーンです。

次のシーンはその次の10年、1925年のシーンです。

1925年シーンの一場面。ホテルのベッドの上に座り、二人の女性が笑いながらおしゃべりをしている
photos courtecy of W!LD RICE

ペナンの富豪の家でメイドをしている女性が、このホテルで働いていた同じ村の出身者と偶然出会うというシーンです。メイドは主人から虐待を受けているのですが、虐待を取り締まるためにイギリス人の修道女が部屋に踏み込みます。修道女は英語しか話さないので現地で雇われているマレー系の将校と中華系の兵隊のふたりが通訳としてついてきたのですが、伝言ゲームのように翻訳していくうちに情報がどんどんと抜け落ちていく。こういうことが昔からシンガポールではあったという非常にユーモラスなシーンです。

そしてこれが前編、独立前の最後のシーンです。

1965年独立前夜の場面。シンガポールの国旗が投影されたホテルの部屋のなかで、幾人ものスタッフが立ったりしゃがみこんだりしている
photos courtecy of W!LD RICE

1965年、マレーシアからシンガポールが独立する前夜を描いています。これまでのマレーシアの旗に代わりシンガポールの旗を掲げようという象徴的な場面です。ホテルの従業員が独立に対して不安を訴えるのですが、今はマレー語で会話が進んでいます。でもこの後、中華系の従業員だけになると広東語に変わるんです。

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武田

この作品では「言語」のあり方が重要なのですね。

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滝口

そうですね。ご覧の通り、この作品には非常に多くの言葉が使われています。最終的には9つの言葉――マレー語、タミル語、標準中国語、英語、日本語、福建語、広東語、ウルドゥー語、タガログ語――が用いられました。また、支配者が変わるたびに国歌を歌うシーンが出てくるのですが、そこで歌われた国歌は計4曲――イギリス国歌の「God Save the Queen」、日本占領期の「君が代」、「Negaraku」(我が国)というマレーシアの国歌、そして最後に独立を達成して現在のシンガポール国歌「Majulah Singapura」(進めシンガポール)――です。シンガポールでは言葉が常に複数併存してきたということ、そのような状況ではコミュニケーションをとるということそれ自体が一大事であるということが端的に描かれた作品だと思います。実は、11人の俳優が出演しているのですが、彼らは9つの言葉の台詞を全部暗記して――一人当たり4~5言語ですが自分が話せない言葉も暗記して――話しているのです。11人のアンサンブルがこれだけの数の言葉の台詞を舞台上で言うという、そのこと自体がシンガポールという国が100年のなかで経験してきた言葉の多様性、それにともなうアイデンティティ形成の苦闘を演劇的に表象していたと思います。

トークショー(3/3)へ続く

シンガポールとマレーシアのアーティストについて紹介する米田氏(右)と片岡氏(左)

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「映画から見るシンガポール・マレーシアのアイデンティティ」