SEA プロジェクト プレイベント3-3
特別上映+トークショー
「映画から見るシンガポール・マレーシアのアイデンティティ」 トークショー(1/3)

トークショー時の様子
登壇者の様子
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武田

皆さん、こんにちは。本日はお忙しいなかお越しくださいましてありがとうございます。本日と来週の2回にわたりまして、「映画から見るシンガポール・マレーシアのアイデンティティ」というテーマで、シンガポールとマレーシアの映画をご覧いただく機会を設けました。本イベントは、今年7月から11月にかけて国立新美術館と森美術館で同時開催される「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」のプレイベントです。本日は上映に合わせ、両国の文化・社会事情に詳しいお二方と、展覧会を担当する国立新美術館、森美術館のキュレーターによるトークショーを企画しました。

まず、展覧会の概要と「アイデンティティ」との関係性について、国立新美術館研究員の米田尚輝さんからご説明いただきます。

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米田

「サンシャワー展」はテーマによって9つのセクションを設ける予定ですが、「さまざまなアイデンティティ」がテーマのひとつです。私たち主催者は、「サンシャワー展」に向け、2年前から各国で調査を始めました。国立新美術館、森美術館のキュレーターに、東南アジア地域の若手キュレーター4人を加えた14人が手分けして調査を行いました。片岡さんと私はASEAN10か国すべての国に足を運びましたが、調査を通じて、各国でさまざまな形で「アイデンティティ」を問う作品を制作している作家が多いことがわかり、必然的にこのテーマを取り上げることになったというのが経緯です。実は、「アイデンティティ」セクションのなかでもシンガポールとマレーシアの作家が多く、特にシンガポールの作家たちは自らのアイデンティティを問い直す作品が非常に多いという印象を持ちました。たった今ご覧いただいた『Sandcastle』のブー・ジュンフェン監督もそのうちのひとりです。ブー監督は映画監督として活動するとともに、美術分野でも作品をつくっており、「サンシャワー展」でも彼の作品を展示する予定です。

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片岡

「アイデンティティ」セクションでは、国家のアイデンティティをはじめ、文化や民族、個人などさまざまな観点から提起されるアイデンティティに目を向けようと思っています。東南アジア地域の多くの国々は第二次世界大戦後独立したこともあり、「ネーションビルディング」つまり国家建設がこの70年間非常に大きなテーマでした。また、そこには常に多様な文化や言語、宗教がありましたから、展覧会としてその多様性についてもいくつかの角度から紹介したいと考えています。そのひとつが「アイデンティティ」セクションということになります。

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武田

では、先ほどご覧いただきました『Sandcastle』の話から始めたいと思います。ブー・ジュンフェン監督は1983年生まれの33歳、シンガポールの映画界を牽引する若手監督です。『Sandcastle』の内容は、シンガポールという国が抱えるさまざまな課題や、シンガポールに生きる人々、社会とアイデンティティとの関係性について、などアイデンティティに関するさまざまな要素が含まれている作品だな、と個人的に感じました。本日ご登壇いただいた松下由美さんは、「 Sintokシンガポール映画祭Tokyo」のプロデューサーとして2012年に『Sandcastle』を初めて日本で上映されましたが、今日改めてご覧になって、アイデンティティの切り口からこの作品をどのように評価されますか。

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松下

2009年の第1回「Sintok」ではブー監督を招聘し、短編特集を上映しました。その際彼から「現在準備している長編は、おばあさんが認知症を患った経験から、認知症をテーマのひとつにしている」との話がありました。その後完成したのが『Sandcastle』です。タブーとされていた家族の過去を主人公がたどっていく過程が、シンガポールの歴史を絡めながら描かれています。主人公の祖父母は福建省―シンガポール華人のマジョリティである中国南部の地域―をルーツに持ち、互いに福建語を話しています。一方若い世代は標準中国語(華語)や英語を話しています。

『Sandcastle』ではシンガポールには徴兵制があることも描かれています。高校またはそれに準じた教育を終えた後で就く兵役ですが、シンガポール人のアイデンティティ形成の大きな要素になっています。また、愛国心を鼓舞する歌詞の独立記念日用につくられた曲がモチーフとして使われています。そして国が独立した当時や、中国語が学校で禁止されることに抗議する学生たちの映像資料も挿入されています。

本作撮影当時ブー監督は20代前半でしたが、老成した作品となっています。シンガポールのさまざまな課題が「てんこ盛り」であると同時に、成長物語や恋愛といった要素を盛り込み、青春映画として楽しめる作品になっています。

『Sandcastle』とシンガポールについてお話をする松下氏と滝口氏

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武田

滝口健さんはマレーシアとシンガポールに計17年間滞在され、シンガポールの舞台芸術業界にも深く精通されていますが、舞台芸術の観点から、あるいはご自身の滞在体験から、この『Sandcastle』をご覧になってどのようなことをお感じになりましたか。

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滝口

昨年までシンガポール国立大学で教員をしており、20代のシンガポールの学生と話す機会が非常に多くありました。2015年はシンガポール独立50周年に当たりましたが、この年は一年を通じて「シンガポールとは何か」ということがシンガポール国内で非常に多く語られましたし、大学でもそういった議論が活発に行われました。

そういったことを思い出しながら『Sandcastle』を観たのですが、私は非常に重苦しい感じを受けたんですね。どういうことかといいますと、シンガポールは非常に無理をして国を運営している、国として存在するということを非常に無理してやっているという印象を強く持っています。シンガポールは、東京23区ぐらいの大きさの島がそのまま独立した、非常に特殊な国です。1965年にマレーシアから独立したときに、記者会見した初代首相のリー・クアンユー(Lee Kuan Yew、1923-2015)がカメラの前で泣き出したという大変有名なシーンがあります。彼は、独立したらシンガポールはもうやっていけないと信じていたわけですね。いわば追放されるようなかたちで独立をせざるをえなかったという非常に苦しい状況から始まったのが、シンガポールという国なのです。このことは、50周年のときにも一年を通じ繰り返し言及されていました。少しでも気を抜いたらシンガポールという国はなくなる、という危機感を持った言説には、シンガポールで生活してみると非常に多く出くわすのです。

シンガポールの独立記念日には、独立を祝う歌が毎年つくられています。『Sandcastle』では、「National Day Song」と呼ばれるそれらの歌が非常に印象的に用いられています。84年につくられた「Stand Up for Singapore」という今でも非常に愛唱されている歌、そして、冒頭とエンディングで流れる「Home」という歌などですね。愛国心に訴えかけるそういった歌なども利用しながら国と国民をつくっている、そういった実験を重ねている国がシンガポールだと私は思っています。そういったことを含め、シンガポールが抱える大変さというか、自分たちで国をつくっていかなければいけない、常にアイデンティティを確立していかなければいけないという切迫感というか、そうしたある種の重荷みたいなものを感じながら観ていました。

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武田

松下さんは実際ブー監督と接するなかで、監督がこの映画にどういうような思いを込めようとしたとお考えでしょうか。先ほど少しお話がありました徴兵制の存在など、彼が何を伝えようと思ったのかもう少し詳しくお話しいただけますか。

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松下

シンガポールでは「良心的兵役拒否」は認められておらず、拒否すると実刑や罰金が科せられるようです。留学をしても戻ってくると刑に服すか、兵役に行くことになります。また、兵役が終わった後も毎年予備役として招集されます。国が小さいので家から通える人もいますし、ほかの国に比べると過酷ではないと言われているものの、若い時期を捧げる軍隊は、シンガポール人男性の人生で大きな位置を占めているようです。

次に言葉とアイデンティティというテーマもあります。シンガポールが独立した際、初代首相リー・クアンユーは、今後国が生き延びるには国際化が不可欠と考え、英語と各民族の言語とのバイリンガルを推進する方針を打ち出しました。しかし、中華系だけをとってもさまざまな方言があり、華人たちの間の共通言語がありませんでした。そこで 1979年に「スピーク・マンダリン・キャンペーン」(Speak Mandarin Campaign)が始まりました。標準中国語を皆で話そうという運動を通じ、人工的にではありますが華人は共通した中国語を話すようになりました。しかし、大陸に行くとアクセントの違いから外国人と言われ、「自分は何人なのだろうか」と苦悩するという話も聞きます。一方で中国からの移民もシンガポールへ流入してきています。主人公が「ぼくたちだって移民じゃないか」と言う台詞がありましたが、同じ中華系であっても、受けてきた教育や環境の異なる最近の移民との間には軋轢が生じることもままあるようです。さらに、現在の若い世代は方言が話せなくなってきています。『Sandcastle』のなかでも、孫は祖父母の言っていることが理解できても、方言を話すことができません。もっとも「スピーク・マンダリン・キャンペーン」以降、標準中国語のレベルは上がりましたし、中華圏の一部として文化・経済的な繋がりや影響力を強化することには功を奏しているようです。

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武田

興味深いお話ですね。『Sandcastle』の主人公は、今お話のあった軍隊や言語の問題以外にもさまざまなアイデンティティと向き合っていると感じたのですが、滝口さん、こういった傾向は一般的なシンガポールの同年代の人々にも見られるのでしょうか。

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滝口

私の学生がどう感じているのか完全に把握していたわけではありませんが、ひとつ言えるのは、シンガポールはできて50年という若い国です。松下さんからお話があったように、さまざまな実験が繰り返されてきたことは確かだと思うんです。言葉ひとつとっても、国が方針を決め、「英語を話せ」となったら学校教育は全部英語にする。『Sandcastle』で、主人公の父親は中国語での学校教育を廃止するのに反対する運動に参加していましたが、そうした非常にドラスティックな変化を国の一存でやってしまうことがある、それがシンガポールという国だと思います。ただ、それを繰り返すなかで、ある種の断絶というか、たとえば世代を越えると言葉が通じなかったり、家の中でいくつもの言葉が話されたりしています。こうした「実験」の結果自分はここにいるんだということを引き受けたうえで、彼らは大学で勉強しているという前提はあるなと非常に感じます。特に、男子学生は全員兵役を終えてから大学に入学してきます。兵役のあり方についても十分に考えたうえで大学に入り、そのなかで自分たちのありようを考えていく、そうした態度はどの学生に見受けられます。その意味では、主人公が考えていることは、シンガポールの若者が考えていることをかなり正確に表しているのかなという感じがします。

トークセッション(2/3)へ続く

武田の質問に手を挙げる来場者

トーク開始前に、約150人の来場者に対し、本イベントに来た理由を挙手で尋ねてみたところ、「映画に関心を持っている」「シンガポール、マレーシアの文化や社会に関心を持っている」という方々が大半を占めていた。

SEAプロジェクト プレイベント3
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「映画から見るシンガポール・マレーシアのアイデンティティ」