SEA プロジェクト プレイベント2
ヘリ・ドノによるパフォーマンス&トーク+SEAプロジェクト報告:インドネシア編 第2部 プロジェクト報告 プレゼンテーション2
インドネシア現代美術のメモランダム
今日は80年代・90年代から活躍しているアーティストのなかでも、FXハルソノ(FX Harsono、1949-)さんとメラ・ヤルスマ(Mella Jaarsma、1960-)さんについてお話したいと思います。
インドネシアのアートシーンの歴史につきましては、片岡さんのお話にもありましたように、ジャカルタ・ビエンナーレの前進となる1974年のジャカルタ絵画展がありました。しかしながらこの74年の展覧会は、絵画や彫刻を大前提とした表現形式が非常に多かったために先鋭的なアーティストたちにとっては非常に不満が残るもので、同年に「黒い12月」といわれる抗議運動が起こります。あたかも絵画展を葬式に見立てるようにして弔いの手紙が届けられたりお花が供えられたりしました。その運動のメンバーを中心として、1975年以降インドネシア・ニュー・アート・ムーブメント(Indonesia New Art Movement)と呼ばれる運動が起こってきます。
そのなかでも特に中心的な役割を果たし、最初期からこういった展覧会に参加していたのがハルソノさんです。私たちがリサーチしたときにインタビューを行い、色々なお話を伺いました。彼は、中国系インドネシア人としてインドネシアを基盤にして活動をなさり、やはり中国人であることをバックグラウンドにして自らの制作についても考えていらっしゃいます。
たとえば、《Pilgrimage to History》(2013)という作品があります。日本の統治時代の後、インドネシアが独立するまでの過程において、多くの中国人が犠牲になりました。その中国人犠牲者のためのモニュメントである共同のお墓が沢山あり、ハルソノさんはこのお墓の凹凸を白い布にフロッタージュ*して、亡くなった人たちの名前を浮かび上がらせるという作品を作りました。記録することは、ハルソノさんの作品における重要なテーマのひとつですので、共同墓地をグーグル・マップのうえに登録し、記録していくことも行っています。
もうひとつハルソノさんの最近の仕事として《Writing in the Rain》(2011)という作品があります。ご自分のお名前を書いていますが、雨によって消されてしまってなかなかうまく書けないというものです。国籍事情とスハルト政権体制での「華人同化政策」のひとつに中華系インドネシア人の中国名からインドネシア名への改名がありました。ハルソノさん自身も、18歳のときに中国名を捨ててインドネシアのパスポートをもらいました。そういう経験をモチベーションにして作られた作品です。書かれているのは、ハルソノさんのお名前「胡丰(豊)文」(フー・ファン・ウェン/Hu Fang Wen)ですが、ご自身では漢字で書けるのがこの文字しかもはやないということで、この文字を繰り返し書いていらっしゃいます。
また、ハルソノさんは4年ほど前からDia.Lo.Gueという場所で「EXI(S)T」というプロジェクトを行っています。これは、アーティストだけでなくキュレーターも育てようという意図を持って設立されたプロジェクトです。インドネシアではパブリックな文化施設が日本に比べて限られていますので、キュレーターの数もそんなに多くありません。ハルソノさん曰く「大学にはほとんどそういった教育はなされていない、キュレーターになるためには何をすればいいかほとんど教えてはくれない」ということで、ハルソノさんのような経験豊かなアーティストがキュレーターを育てようという意図で立ちあげられました。
もうひとり、メラ・ヤルスマさんというアーティストを紹介します。この方はオランダ出身で、インドネシアのアーティストとご結婚され、インドネシアで現在活動しています。差別やアイデンティティなど、インドネシアの多様な社会の側面で排除されるような弱者、比較的マイノリティにおかれるような人たちについて関心をもっているアーティストです。
たとえば、《High Tea》(2014)という作品があります。お茶はご存知のように17世紀初頭に東インド会社によってヨーロッパにもたらされました。当時、お茶の一大産地である西ジャワでは、もっとも質のよい茶葉はヨーロッパへ輸出され、現地の人たちはよいクオリティのお茶が飲めないという状況になっていました。そのことを批判する作品です。
もうひとつ、メッラさんの特徴的な作品として、動物や爬虫類といった生物の皮を使ったインスタレーションのシリーズがあります。タイトルは《Lugang Buaya/Crocodile’s Pit》(2014)です。1965年に起こった軍事クーデター未遂、「9月30日事件」において6人の軍の将校が殺害され、ジャカルタ郊外にあるルバン・ブアヤ(Lugang Buaya)村の井戸に遺棄されました。「ルバン・ブアヤ」とは「ワニの穴」という意味です。この事件の舞台となった村の名前にちなむワニの皮を使うことで、メラさんこの事件について人々の記憶を呼び起こし、再考することを求めている作品です。実際にこのワニ皮のコスチュームをお客さんに着せて、この出来事についてインタビューをとり、映像として展示しています。
メラさんは、先ほど片岡さんのお話にもありましたチェメティ・アート・ハウスのファウンダーのひとりであり、展覧会を年10本程度企画なさっています。また、この展示部門とは別に設立されたのがIVAAです。2000年前後に、今日でいうところのソーシャリーエンゲイジドアートやパフォーマンスなど、もの、オブジェクトとしての作品が残らない活動という新しい現代アートの形式が発生したことから、それらを歴史化すること、出来事をドキュメントとして残す必要に迫られ、アーカイヴを始めたということです。
*フロッタージュ:表面がでこぼこしたものに紙を置き、鉛筆などでこすることで、でこぼこのかたちを写し取る手法。
写真: 御厨慎一郎
写真協力: 森美術館