調査:タイ 01

バンコク、チェンマイ

2016.05.06 - 05.13

旧正月の明けたタイは、気温が体温を上回るような猛暑に襲われていました。首都では林立する高層ビル群と一向に進む気配のない交通渋滞が一層熱気を煽り、成長し続ける東南アジアの息吹を体感させます。食事やマッサージ、“微笑”での歓待は、異国人であるわたしたちを大いに満足させるものでした。しかしこの国には、別の現実が垂れ込めてもいます。例えば現在も軍事政権下にあるという事実。そんな深層を悟ることができたのは、東南アジア地域で一級の充実度を誇る現代アート・シーンが生んだ、多くのアーティストたちとの語らいと、彼らが作る作品によってでした。

  • グレース・サンボー
  • 徳山 拓一
  • 喜田 小百合
  • 片岡 真実
  • 米田 尚輝

ザ・リーディング・ルーム

バンコク

2016.05.06

片岡 真実

バンコクの私設・非営利の図書館・アーカイヴセンターとして、ザ・リーディング・ルーム(The Reading Room)では、世界の現代アートに関する参考書籍とタイの現代アート関連資料、約1000冊を集めています。ディレクターのナラワン・パトムワット(Narawan Pathomvat、1980–)が、2009年に創設しました。図書館としての活動に限らず、映画上映会やアーティストほか芸術関係者によるトークイベントなどを通して、タイの政治、経済、社会と、芸術文化の実践との関係に高い意識を向けています。ソファやクッションが置かれたプライベートな雰囲気の空間で、小規模ながら現代アートに関するグローバルな理論に触れることができる貴重な場として、存在感はますます増していくのではないでしょうか。訪問時には、チェンマイを拠点にするアーティスト、スティラット・スパパリンヤー(Sutthirat Supaparinya、1973–)の展示が行われていました。展覧会のタイトルは、ベトナムで禁書になった本のタイトルから引用した「盲目の楽園」(Paradise of the Blind)。アジアおよびオセアニア地域で禁書になった書籍55冊がシュレッダーにかけられ、山のように積み上げられています。その上部には軍事博物館でお土産用に売られているという銃弾がつり下げられ、緊張感を生み出していました。

バンコク芸術文化センター(BACC)

バンコク

2016.05.06

片岡 真実

BACC(Bangkok Art & Culture Center)は、アーティストが政府に要請してできた文化複合施設として2009年に開館。キュレーターのピチャヤー・スパワーニット(Pichaya Suphavanij、1972–)が対応してくれました。中央が吹き抜けになった9階建て円柱形の建物のうち、1階から5階まではアートやデザイン系の店舗、コミュニティプロジェクトなど多目的に使われ、 ピチャヤーが企画を担当している美術館部分は7階から9階。展示面積は1万2000㎡あり、年間12本ほどの展覧会を開催しています。基本的な予算はバンコク市が負担していますが、海外の政府機関との共催展なども行っています。立地が街の中心部にあることも手伝って、観客の年齢層は25~35歳が中心。展覧会ごとの入場者数は、平均3ヶ月の会期で4〜5万人程度ということです。展覧会は、ベテランアーティストの回顧展的なもの、中堅作家の個展などを開催する一方、若手作家はテーマ展として取り上げることが多いとのこと。東南アジア展としては、2013年に「概念・文脈・論争:東南アジアのアートとコレクティブ」(Concept Context Contestation: Art and the Collective in Southeast Asia)展を開催し、ベトナムのハノイとインドネシアのジョグジャカルタに巡回しました。訪問時には、ロンドンのサーチ・ギャラリー(Saatchi Gallery)で開催された「タイランド・アイ」(Thailand Eye)展の帰国展が開催されていました。

ジム・トンプソン・アートセンター

バンコク

2016.05.06

片岡 真実

第二次大戦後にアメリカ人事業家としてタイシルクの復興に貢献したジム・トンプソン。タイ伝統様式を取り入れた彼の邸宅は「ジム・トンプソン・ハウス」(Jim Thompson House)としてバンコクの観光名所になっています。ジム・トンプソン・アートセンターは、その敷地内にあり、アピチャッポン・ウィーラセタクン(Apichatpong Weerasethakul、1970–)、モンティエン・ブンマー(Montien Boonma、1953–2000)、ピナリー・サンピタック(Pinaree Sanpitak、1961–)をはじめタイを代表する現代アーティストの個展など、タイのアーティストを中心とする国際的な現代アートの展覧会を開催してきました。あわせて専門家から一般観客まで幅広い層に向けた教育プログラム、カンファレンス、ワークショップ、出版物の刊行などを積極的に行っています。訪問時には、次世代のタイ・アーティストとして国際的に注目度が高まっているコラクリット・アルナーノンチャイ(Korakrit Arunanondchai、1986–)の個展が開催されていました。若い世代の大衆文化とタイの伝統文化、神話などを巧妙に融合させた大画面の映像作品をブリーチデニム地のクッションの上で鑑賞するようなインスタレーションも、彼の特徴的な展示のひとつです。また、ジム・トンプソン・アートセンター芸術監督のクリッティヤー・カーウィーウォン(Gridthiya Gaweewong、1964–)には、タイの近現代美術の発展に関する歴史的な流れを講義してもらいました。現代アートや美術教育の発展を、常に政治、社会、経済、文化的な文脈と関連づけながら考えている彼女の視点には、共感するところが多いです。

ランド・ファウンデーション

チェンマイ

2016.05.07

米田 尚輝

1998年にタイを代表するアーティスト、リクリット・ティラヴァーニャ(Rirkrit Tiravanija、1961–)とカミン・ラーチャイプラサート(Kamin Lertchaiprasert、1964–)が中心となって設立したアートプロジェクトで、コミュニティでもレジデンスでもあります。チェンマイから南西に約20キロ離れた田園に位置するこの土地は、雨季の降水量がきわめて多かったため稲作には適しておらず、アーティストが議論と実験を重ねることができるような、農業とアートを融合した場所として開発されることになりました。かつてはタイのアーティスト、プラッチャヤー・ピントーン(Pratchaya Phinthong、1974–)、あるいはコペンハーゲンのアーティストグループ、スーパーフレックス(Superflex)も、ランド・ファウンデーションをある種の実験室とみなして滞在制作を行っています。さらに生活を営むうえで必要不可欠である建築もまた、このプロジェクトでは重要な位置を占めています。中心部を取り囲むようにして、リクリット・ティラヴァーニャ、タイのアーティスト、ミット・ジャイイン(Mit Jai Inn、1960–)、あるいはドイツのアーティスト、トビアス・レーベルガー(Tobias Rehberger、1966–)らによってデザインされた二階建ての小ぶりな小屋が立ち並んでいます。90年代後半からこの場所で制作された生活の要素を内包する作品群は、プロジェクト型アートの嚆矢として現代美術史のなかに位置づけられています。

ウドムサック・クリサナミス (1966–)

チェンマイ

2016.05.07

米田 尚輝

バンコクに生まれ、現在はチェンマイを拠点に活動するタイのアーティスト。チュラーロンコーン大学(Chulalongkorn University)を卒業した後、アメリカへ渡りシカゴ美術館付属美術大学(School of Art Institute of Chicago / SAIC)でも学びました。その後、ニューヨークで活動を続けましたが、2008年からアーティストが集う都市チェンマイへ活動拠点を移しました。作家活動を開始した当初、タイ料理のパッタイなどに用いられる米粉の麺をカンヴァスに張り付ける平面作品でよく知られるようになりました。そして1990年代後半からは新聞紙を用いたコラージュも始めます。それは、英字新聞に現れる単語のうち知っている単語だけを黒で塗りつぶしていくことで、結果として新聞紙面には不規則的かつ幾何学的なパターンが現れるというものです。また、たとえばアーヴィング・バーリンの「愛は海より深く」(How Deep is the Ocean?、1932)のような楽曲の名前をつけたり、カンヴァスにドラムの円形を形態的に転用したりと、音楽への親近性も認められます。現在ではチェンマイ大学で教鞭もとっているウドムサック・クリサナミスは、国内外の錚々たる美術館での個展やグループ展で作品を発表しており、日本でも2012–13年に東京都現代美術館で開催された「アートと音楽―新たな共感覚をもとめて」(Art and Music―Search for New Synesthesia)展に参加しています。

マイアム現代美術館 (MICAM)

チェンマイ

2016.05.08

徳山 拓一

マイアム現代美術館は、チェンマイ郊外に2016年7月4日の開館を控えていた私設美術館。総床面積は3000㎡となり、現代美術館としてはチェンマイで最大のものとなります。企画展とコレクション展を同時に開催しています。開館記念の企画展はバンコクのジム・トンプソン・アートセンターのクリッティヤー・カーウィーウォンのキュレーションによる、チェンマイ在住で世界的に活躍するアピチャッポン・ウィーラセタクンの回顧展「Serenity of the Madness」(2016年7月4日~9月10日)です。創設者はジム・トンプソンのチェアマンである エリック・ブンナ・ブース(Eric Bunnag Booth) の両親でコレクターでもある パッシリ・ブンナッグ(Patsri Bunnag)とジャン・ミシェル・バーデリー(Jean-Michel Beurdeley)夫妻。名前の由来は「新しい」という意味のタイ語 「Mai」(チェンマイのマイ)と、イアム(Iam)というエリックの祖父母のおばの名前にちなんでいます。イアムはラーマ5世の夫人だった人物で、美術館内には彼女を紹介する歴史資料室も設けられています。「Iam」はタイ語で「新しい」という意味もあるので、Mai Iam は「とても新しい」という意味にもなります。英語では「super new、brand new」という訳になります。この美術館をチェンマイに設立する理由は、チェンマイがバンコクに対してオルタナティヴな芸術文化都市として重要な位置付けだと考えるからとのことでした。チェンマイは、国際的に活躍するアーティストが多く在住し、また1990年代に始まった野外彫刻芸術展である「チェンマイ・ソーシャル・インスタレーション」(Chiang Mai Social Installation)など、独自の芸術文化が発展してきた経緯があります。さらに、伝統工芸が盛んであり、マイアム現代美術館がある地域は、木工、銀細工、紙、傘細工などでも有名です。チェンマイを起点として、タイの現代美術シーンを世界へ発信していくことが期待されます。開館後に、是非また訪れたい美術館でした。

ミット・ジャイイン (1960–)

チェンマイ

2016.05.08

徳山 拓一

ミット・ジャイインは、タイ現代美術シーンのパイオニアといえるアーティスト。チェンマイ・ソーシャル・インスタレーションの創始者のひとりで、リクリット・ティラヴァーニャが始めたランド・ファウンデーションの運営にも関わり、政治的な活動も積極的に行っています。ミットは、学生の頃にビザが必要ないからという理由でウィーンに留学し、フランツ・ウェスト(Franz West、1947–2012)のアシスタント等をしながら6年ほど滞在しました。その間に、ドクメンタ8, 9(Documenta Ⅷ, Ⅸ)やヴェネチア・ビエンナーレ(Venice Biennale)等を体験し、こうした経験からアーティスト・コレクティヴやソーシャリー・エンゲージド・アクティビティに興味を持ち、タイに帰国後の1992年頃から、チェンマイ・ソーシャル・インスタレーションやミッドナイト・ユニバーシティを始めました。
ミッドナイト・ユニバーシティは専門機関の外で行う教育普及活動で、寺院や空き地、バーなど場所を転々と変えて開催され、学生、若手アーティスト、僧侶、セックスワーカーなど多様な参加者があったといいます。講師には大学教授などが招待され、政治などについての議論が主な内容だったそうです。ここには、ナウィン・ラワンチャイクン(Navin Rawanchaikul、1971–)や アラヤー・ラートチャムルンスック(Araya Rasdjarmrearnsook、1957–)、モンティエン・ブンマーなどのアーティストたちも参加していました。チェンマイ・ソーシャル・インスタレーションは、近現代美術を含む文化の中心がバンコクであることに反感を覚えたアーティストたちが立ち上げました。伝統工芸が盛んであり、民族的にもマイノリティであるヤオ族が多いチェンマイを、バンコクに対するオルタナティヴと捉え、さらに美術館やホワイトキューブとの差別化を目的とした野外彫刻中心の芸術祭でした。1995年以降は、ナウィン・ラワンチャイクンやキュレーターのクリッティヤー・カーウィーウォンが中心となって続けられました。ミット・ジャイインのこうした活動が、現在のチェンマイのアートシーンの礎となっているのです。

アラヤー・ラートチャムルンスック
(1957–)

チェンマイ

2016.05.09

喜田 小百合

アラヤー・ラートチャムルーンスックは、トラド(タイ)生まれ、チェンマイを拠点に国際的に活躍する作家です。現在も教鞭をとっているチェンマイ大学(Chiang Mai University)にて、これまでの活動について年代順に話を聞かせてくれました。シラパコーン大学(Silpakorn University)で修士号(芸術)を取得後、ドイツ教育交流奨学金などを得て、ブラウンシュヴァイク造形美術大学(The Braunschweig University of Art)にて版画を学んだ彼女は、風景を連想させるモノクロの版画の制作を始めました。その頃から、死、ジェンダー、アイデンティティといったテーマを扱った映像やインスタレーションを制作するようになり、2005年に第51回ヴェネチア・ビエンナーレ、2012年にドクメンタ13に参加しました。無機質な部屋に横たえられた死体と無言の対話を交わす〈Conversation〉シリーズ、西洋美術史の代表作を農夫や村人に見せて彼らが自由に感想を言い合う様子を記録した〈ふたつの惑星〉(Two Planets)シリーズなどが代表的です。また彼女の作品には犬が頻繁に登場しますが、チェンマイ大学に訪れた際にも彼女の周囲には多くの犬が寄り添っていました。彼女の作品は死者と生者、人間と動物における境界の曖昧さを訴えかけます。

ナウィン・ラワンチャイクン (1971-)

チェンマイ

2016.05.09

喜田 小百合

ナウィン・ラワンチャイクンは、祖父が現在のパキスタンであるパンジャーブ地方から移民したインド系タイ人としてチェンマイに生まれ、1993年チェンマイにNavin Production Co., Ltd.を設立し、彫刻、絵画、パフォーマンス、写真、映像といった幅広いジャンルで精力的な活動を行っています。チェンマイ大学芸術学科を卒業しモンティエン・ブンマーに師事したナウィン・ラワンチャイクンは、1996年の第2回アジア・パシフィック・トリエンナーレ(the 2nd Asia Pacific Triennial of Contemporary Art)、2009年の第4回福岡アジア美術トリエンナーレ(the 4th Fukuoka Asian Art Triennale)、2011年の第54回ヴェネチア・ビエンナーレなどに参加し、社会とアートとの関係性を問い直すような作風で知られます。私たちの滞在時には、ワロロット市場(Warorot Market)内にある彼の父親のお店、プライベートコレクターの運営するスペースDC Collection、彼のスタジオNavin Productionの3ヶ所にて、彼の大規模な回顧展が開催されていました。家族の出演するミュージックヴィデオ、地域の人々を記念写真のように描いた映画の広告看板を連想させる巨大な絵画、モンティエン・ブンマーとの思い出をモチーフにした映像インスタレーションなどが展示され、タイ現代美術の代表的な作家である彼の活動を包括的に知ることができました。

バンコク大学ギャラリー (BUG)

バンコク

2016.05.11

米田 尚輝

1996年に設立されたバンコク大学に付属するギャラリーで、同大学で教鞭をとっていたアーティストのニパン・オラーンニウェート(Nipan Oranniwesna、1962–)が設立当初はディレクターを務めていました。2000年にバンコク芸術文化センターが開館するまで、タイで唯一の現代美術を専門的に取り扱うギャラリーでした。現在では、イギリスのロンドン大学ゴールドスミス(Goldsmiths, University of London)でキュレーションを学んだアーク・フォーンサムット(Ark Fongsmut、1964–)がギャラリーの活動を牽引しています。個展やグループ展など年間に5本程度の展覧会を企画していますが、そのなかでも特筆すべきは、東南アジア諸国で活躍しているキュレーターを招待して企画される展覧会「brand new」プロジェクトでしょう。これまでには、タイのジム・トンプソン・アートセンターのクリッティヤー・カーウィーウォンやフィリピンのリンゴ・ブノアン(Ringo Bunoan、1974–)らもゲストキュレーターとして参加しています。対象となるのは主としてタイのアーティストですが、国籍や年齢によって参加資格を制限することはなく、バンコク大学に在学する学生も展覧会に参加したこともあるとアーク・フォンスムットは話してくれました。

バンコク・シティ・シティ・ギャラリー

バンコク

2016.05.11

徳山 拓一

バンコク・シティシティ・ギャラリーは、2015年8月23日にオープンしたばかりのコマーシャルギャラリー。1978年生まれのオップ・スサンナ(Op Susanna)と 1980年生まれのパマート・パフロー(Supamas Phahulo)の若い二人が代表を務めます。訪問した際は新進気鋭のタイのアーティスト、コラクリット・アルナノンチャイの個展「Painting with History in a Room Filled with People with Funny Names 3」が開催されていました。オップはロサンゼルスで映画製作、スパマスは美術史を修了しており、その後二人はアーティストの作品制作や出版、映像制作を手伝っていました。しばらくすると、スペースを持ち自分たちの興味のあるアーティストをビジネスとしてサポートしたいと考えるようになり、ギャラリーをオープンしたといいます。コマーシャルギャラリーにしたのは、収入を確保しながらも、自分たちの好きなアーティストとプロジェクトを続けることのできるビジネスモデルが他に思いつかなかったからとのことです。個展を開催するアーティストへは、半年以上の時間をかけて、新作制作のサポートや展覧会のプランニングを行い、献身的な姿勢を貫いています。これまで個展を開催した、また今後開催予定のアーティストにはウィスット・ポンニミット(Wisut Ponnimit、1976–)、ビジョア(Beejoir、1979–)、 コーンクリット・ジアンピニットナン(Kornkrit Jianpinidnan、1975–)、ナワポン・タムロンラタナリット(Nawapol Thamrongrattanarit、1984–)、CEO Booksのクリス・クリサナ(Chris Grisana、1992–)などがいます。現代美術シーンだけを意識するのではなく、アートを広義で捉え、コンセプチュアルアート、ストリートアート、アニメーションや商業映画、出版など、多様な活動をするアーティストたちをレプレゼントしています。観客の興味や関心の幅を広げ、タイのアートシーン自体を成長させることを目的としていると語ってくれました。これからが非常に楽しみなスペースです。

ラーチャブリー訪問記

2016.05.13

グレース・サンボー

この日、調査チームは東京へと帰国。私はキュレーターのAnothai Oupkum、アーティストのシンヤ・アクタガワ(Shinya Akutagawa、1980–)、ヘンリー・タン(Henry Tan、1986–)とともにバンコクの西にあるラーチャブリー県へと、アートがどのように共同体の内側や間で位置づけられているかを見るのを楽しみに向かいました。ここ1、2年、ラーチャブリーでのコミュニティアートの実践に向けられる関心が増していると聞いていました。自治体公認の芸術祭「Art Normal」のみに留まらず、バンコクのアーティスト・イニシアティブのグループ、テンタクルズ(Tentacles)が地元の大学とともに運営するレジデンス・プログラムなどもあります。私は宿泊していたホテルで車に拾われると、ヘンリー・タンの家で友人を乗せて、ラーチャブリーを目指しました。

往路、最初に立ち寄ったのは、バーンノーク(Baan Noorg)で、Jiradej(以下「ジー」、1969–)とPornpilai(以下「イン」、1968–)のMeemalai夫妻に会うことができました。彼らはいま、隣人や近隣の国々出身のアーティストとともに365日運営のプロジェクトを進めています。ここはバンコク市外をわずかに外れ、ラーチャブリーのわずかに手前。多くの郊外地域と同様、彼らが住むのも工場に囲まれた地域です。これは、労働者として多くの人が隣国から移り住んでいることを意味します。ジーとインは、労働者たちがタイ語を学ぶ必要には迫られないことを教えてくれましたが、それは同じ地域から同じようにここを訪れる人が多いからです。基本的にミャンマー語かマレー語を話せれば生きていくことができるというわけです。

ジーとインがインドネシアをよく知っていることには驚かされました。どうも彼らはかなり長くにわたって東ジャワのスラバヤを拠点とするコレクティブ、ワフト・ラボ(WAFT Lab)とともに活動しているようです。このことからただちにいくつかのキーワード――郊外、非中心、周縁――が思い浮かびます。SEAプロジェクトのキュレトリアルチームはスラバヤを訪れた際に、ワフト・ラボと面談しています。彼らは、アーティストというよりはデザインすることに情熱を傾ける生粋のノイズオタクといった観がありました。けれども10年ほどの活動期間がすぎ、彼らは自分たちの場所の特性を、どうにかして表すことができるようになったように私は思っています。このことはジーとインのアート活動にも当てはまると見ています。ふたりの生涯にわたるコラボレーションは、必ずしも場所や立地を必要とするものではありませんが、彼らは市街を離れ、いまいる場所で活動することを決めました。アート業界のはやりといったくびきから解き放たれ、彼ら自身の実践を模索するためのより広い空間と、同じような実践者との長期的な関係やつながりを構築する時間を得ることになったのです。

そのような考えが稲妻のごとく自分の頭を駆け巡るなか、私たちが座って意見を交わしているとマー・エイ(Ma Ei、1978–)がジーとインの家に到着しました。マー・エイはミャンマーのパフォーマンス・アーティストです。私は一度、インドネシアのソロで開催され、ムラティ・スルヨダルモによって運営されているパフォーマンスアート・フェスティバル「Undisclosed Territory」で彼女のパフォーマンスを見たことがあります。彼女は私にこのようなところで出会った偶然に驚いていました。お互いに挨拶をすませると、マー・エイはここに来てジーやインとともに仕事ができることがどんなに嬉しいかを語ってくれたのです。

途中、私たちは近くにアイスクリームを買いに出かけることにしました。この日はすごい暑さで、それはもう立っていることすら耐えがたかった(笑)。アイスクリームショップでは、ジーとインが絵や写真が収められたキャビネットを見せてくれました。これはこの地域で一番初めに牛乳をアイスクリームへと精製したとされるアイスクリーム店のオーナー一家とともに進めているプロジェクトのひとつです。そうです、タイのこの地域にある工場は、ほとんどが牛乳工場だったのです。乳牛の飼育と工場。この店には「タイ・アイスティー」という味のアイスも提供しているそうです。アイスクリームは最高の味でした! 

マー・エイそしてジーとインたちと別れると、私たちはテンタクルズが運営しているレジデンス・プロジェクトを見にラーチャブリーへと向かいました。目にしたのは、バスケットボールのコートにあるサックシット・クンキッティ(Saksit Khunkitti、1989–)の作品やピチャヤー・ガームチャルーン(Pitchaya Ngamcharoen、1989–)によるアリの痕跡や地元の犬の物語についての作品です。これらがしっかりと設置され隣人たちによって守られていたのはすばらしいことでした。

次に向かったのは、「Art Normal」の運営本部です。「Art Normal」は、2004年に創設されたタイの芸術賞・シラパトーン賞受賞者であり地元出身のワシンブリ・スパーニットウォーラパート(Wasinburee Supanichvoraparch、1971–)の提案による、ラーチャブリーの町全体をアート作品で占拠するという芸術祭。人々の日常にアートが交ざりこむことを狙ったものです。公共施設周辺の住民やマーケット内の出店者、地元商店、レストランや美容院などの店主らとともに活動をしています。2016年にはタイの代表的な建築家、たとえばアッタポーン・コブコンサンティ(Attaporn Kobkongsanti)やウィパーウィー・クナーウィチャヤーノン(Vipavee Kunavichayanont)とのコラボレーションで、17か所を会場としました。

私たちは一つずつ見ながら、すべての会場を訪れました。どの会場を訪れても、見事に展示された作品を目にすることになりました。こうした場所の所有者たちも、アーティストとの協働のプロセスについて、嬉しそうに説明してくれます。なかには私の好みに合わないものもありましたが、日常レベルでの生活のなかでこうしたスペースをあたかもアート作品のように扱い、訪れた人々と結び付けようとしている事実は高く評価したいと思います。

バンコク市内へと戻る前に、マーケットに立ち寄ってお菓子を買うことにしました。尋常とは思えない渋滞の後、まさに最後の展示をしているシラパコーン大学ギャラリーを訪れました。そこではRuangsak AnuwatwimonやBo Wasinonadh、隅英二(1970–)、ウンチャリー・アナンタワット(Unchalee Anantawat、1982–)らアーティストたち、そしてキュレーターのブライアン・カーティン(Brian Curtin)と話すことができました。その夜に幕が開いた展覧会自体は、私たちSEAプロジェクトチームがプノンペンを訪れた際にガイドをお願いしたリノ・ヴース(Lyno Vuth、1982–)がキュレーションしたものでした。

Special Thanks

アーク・フォーンサムット | Ark Fongsmut
アーノン・ノンヤオ | Arnont Nongyao
アッカポン・スタット・ナ・アユッタヤーandスパマート・パフロー | Akapol Sudasna and Supamas Phahulo
アティコム・ムクダープラコーン | Atikom Mukdaprakor
アピチャッポン・ウィーラセタクン | Apichatpong Weerasethakul
アピラック・ジアンピニットナン | Apirak Jianpinidnun
アラヤー・ラートチャムルンスック | Araya Rasdjarmrearnsook
アンクリット・アッチャリヤソーポン | Angkrit Ajchariyasophon
ウィット・ピムカンチャナポン | Wit Pimkanchanapong
ウィラダー・バンジャートルンカジョーン | Virada Banjurtrungkajorn
ウドムサック・クリサナミス | Udomsak Krisanamis
オラワン・アルンラック | Orawan Arunrak
カミン・ラーチャイプラサート | Kamin Lertchaiprasert
キッティマー・ジャーリープラシット | Kittima Chareeprasit
クリサナ・イムエームカモン | Grisana Eimeamkamol
クリッティヤー・カーウィーウォン | Gridthiya Jeab Gaweewong
サックシット・クンキッティ | Saksit Khunkitti
サンティパープ・インコーンガーム | Santiphap Inkong-ngam
ジャッカワーン・ニンタムロン | Jakrawal Nilthamrong
スティラット・スパパリンヤー | Sutthirat Supaparinya
スラシー・クソンウォン | Surasi Kusolwong
スラジェート・トーンジュア | Surajate Tongchua
ターダー・ヘーンサップクーン | Tada Hengsapkul
タイキ・サックピシット | Taiki Saksipit

タカーン・パッタノーパート | Be Takerng Pattanopas
タッサナイ・セータセーリー | Thasnai Sethaseree
タワッチャイ・パンサワット | Tawatchai Puntusawasdi
チャートチャイ・スピン | Chartchai Suphin
チャラーラッイ・ルアンチュムチャーイ | Chalarak Rueanchomchoei
チュラヤノーン・シリポン | Chulayarnnon Siriphol
ドゥサディー・ハンタクーン | Dusadee Huntrakul
トーラープ・ラープジャルーンスック| Torlarp Larpjaroensook
ナウィン・ラワンチャイクン | Navin Rawanchaikul
ナッタポン・サワッディ | Nuttapon Swasdee
ナムフォン・ウドムラートラック | Namfon Udomlertlak
ナラーワン・パトムワット | Narawan Pathomvat
ニパン・オラーンニウェート | Nipan Oranniwesna
パトムポン・テーサプラティープ | Pathompon Tesprateep
パポンサック・ラオー | Paphonsak La-or
ピシッタクン・クアンタレーン | Pisitakun Kuantalaen
ピチャヤー・ガームチャルーン | Pitchaya Ngamcharoen
ピチャヤー・スパワーニット | Pichaya Aime Suphavanij
ピヤラット・ピヤポンウィワット | Piyarat Piyapongwiwat
プラッチャヤー・ピントーン | Pratchaya Phinthong
プラパット・ジワランサン | Prapat Jiwarangsan
ヘンリー・テーン | Henry Tan
マイケル・シャオワナサイ | Michael Shaowanasai
ミット・ジャイイン | Mit Jai Inn
ミティ・ルアンクリッタヤー | Miti Ruangkritya

Research