調査:インドネシア 01

ジャカルタ、スラバヤ、ジョグジャカルタ

2015.11.13 - 11.23

インドネシアの調査では、ビエンナーレが同時期に開催されていたジャカルタ、スラバヤ、ジョグジャカルタを訪問しました。各地のビエンナーレを見て、アーティストの話を聞き、各地の歴史を知るなかで、美術をとおしたインドネシアと日本の関わりも見えてきました。

  • グレース・サンボー
  • 熊倉 晴子
  • 南 雄介
  • 片岡 真実
  • 米田 尚輝

FX ハルソノ (1949 -)

2015.11.14

熊倉 晴子

1949年生まれのアーティスト。インドネシアに現代美術が誕生したきっかけのひとつと言われるインドネシア・ニュー・アート・ムーブメント(Gerakan Seni Rupa Baru Indonesia / GSRBI、1975-1989)の最初期からのメンバーでもあります。スハルト政権時代は環境問題に取り組むNGOと協働するなど、現在では一般的となったリサーチをベースとした作品制作を、早くから行っていました。また、中国系インドネシア人としての自らの出自やアイデンティティについての作品も多く発表しています。インタビューは、FXハルソノが近年精力的に取り組んでいる30歳以下の若いアーティストやキュレーターを対象に開催している公募プロジェクト「EXI(S)T」の展覧会会場であるDia.Lo.Gueというオルタナティヴスペースで行いました。若い世代への支援について、またプロジェクトをつうじた会話や議論が自分自身にとってもいかに重要であるかについて語ってくれました。2014年にはオランダのプリンス・クラウス基金が運営するプリンス・クラウス・アワード(Prince Claus Award)を受賞しています。

ルアンルパ

2015.11.14

熊倉 晴子

ジャカルタのオルタナティヴスペース。スハルト政権崩壊の2年後、2000年にアデ・ダルマワン(Ade Darmawan、1974-)、 ハフィズ(Hafiz)、 ロニー・アグスティヌス(Ronny Agustinus)、 オキィ・アルフィ・ヒュタバラット(Oky Arfie Hutabarat)、 リリア・ナルシタ(Lilia Nursita)、 リスミ(Rithmi)の6人によって設立された、ジャカルタで最も歴史のあるアートスペースおよびアーティスト・コレクティヴのひとつです。限られた人々にのみ共有されていた現代美術を主に若者たちにとって身近なものにするという目的のもとに活動しており、成果物としての作品を展示すると同時に、プロセスを共有することを重視しています。2003年から2年ごとに開催されているOKヴィデオフェスティバル(OK Video Festival)、キュレーターやアーティストのためのワークショップ、展覧会、ラジオ放送、グッズの生産、販売などその活動は多岐にわたり、ジャカルタのみならずインドネシア現代美術の中心的存在と言えるでしょう。ルアンルパとしての展示や展覧会も国内外で多数行っており、ルアンルパの中にもまた複数のアーティスト、コレクティヴが存在するという構造になっています。また、ジャカルタ・ビエンナーレ2015の企画、運営における中心的な役割を担っています。

ジャカルタ・ビエンナーレ2015

2015.11.14

熊倉 晴子

1974年にインドネシア絵画展として開始した国際展で、16回目の開催となる今回は、チャールズ・エッシュ(Charles Esche、1963-)とインドネシア各地の若手キュレーター6名からなる協働チームでキュレーションを行っています。「前進でも、後退でもなく:現在に学ぶ(Maju Kena, Mundur Kena : Learning in The Present)」というテーマのもと、ノスタルジーや未来のユートピアに逃避することなく、現在の経済や社会、いまここに暮らす人々の精神的、感情的状況についての作品に注目し、インドネシア国内から40名・組、国外から30名・組のアーティストが参加していました。およそ5,000人の観客が訪れたオープニングは活気にあふれ、インドネシア現代美術への注目が国内外から集まっている様子を実際に目にしました。

第6回ジャティム・ビエンナーレ

2015.11.16

片岡 真実

人口約300万人のインドネシア第2の都市、ジャワ島の東端にあるスラバヤは、東ジャワ州の州都であり、インドネシア最大の港町でもあります。日本との関係では、1925年にはすでにインドネシア最初の日本人学校が設置されるなど、20世紀の早い時期に日本人コミュニティができていて、現在も日本人墓地などがあります。スラバヤで開催されていたジャティム・ビエンナーレ(Biennale Jatim)は2005年に始まり、以降スラバヤ市が主催しています。インドネシア国内の作家を中心としたビエンナーレで、展示やウェブサイトを含む告知もバハサ・インドネシア(インドネシアの公用語・共通語)のみで表示されていました。キュレーターはスラバヤとジョグジャカルタから1名ずつ選ばれ、彼らが独自に選定したアーティストと、公募部門で選ばれた若手アーティストが最終的には同じステージで展示されます。多目的ホールに仮設壁で会場が構成され、80名・組以上の作家が参加していました。展示作品の手法もクオリティも多様でしたが、「ビエンナーレ」という展覧会の形式がインドネシア国内で確実に定着しつつあることを感じました。

C2O(Se Dua O)

2015.11.16

片岡 真実

住所の通り名から名前を取ったアーティスト・コレクティヴで、書店、アーカイヴ、パブリック・ライブラリーが併設されています。創設は2008年。ライブラリーは、個人の蔵書に始まり、そこから大学の研究者などを対象にしたインドネシアの歴史書、文化関係・人類学関係の書籍などを中心に発展してきました。2015年8月からは、バックヤードにギャラリースペースもでき、訪問時にはジョグジャカルタを拠点に活動する研究者、アンタリクサ(Antalikusa)のキュレーションによる、日本統治時代のグラフィックデザインとそれに対するインドネシアの若い世代のデザイナーによる応答をテーマにした展覧会が開催されていました。スラバヤを拠点に活躍するワフト・ラボ(WAFT Lab)、セルバック・カユー(Serubuk Kayu)、ホロピス(Holopis)、スラバヤ・テンプ・ドゥルゥ(Surabaya Tenpu Dulu)など、若い世代のコレクティヴによる活動は、現代アートの領域に限定されず、むしろサイエンス、テクノロジーから、環境問題、歴史、伝統的な文化、食文化など、今日のインドネシアで共有される多様な課題に取り組もうとする姿勢が共通して見られました。

アグン・クルニアワン
(1968-)

2016.11.18

米田 尚輝

ジョグジャカルタを基盤に活動するアーティスト。1996年にフィリップモリス・アート・アワード(Phillip Morris Art Award)を受賞し、国際的な評価が定まってからも各地で活発に活動を続けています。暴力、政治、タブーといった主題を頻繁に取り扱い、社会的・文化的活動の中で作品を発展させるアグン・クルニアワン(Agung Kurniawan)は、ある作品を物理的に生産することと同じくらい、社会に対する応答責任をアーティストの役割として認識しています。ジャカルタ・ビエンナーレ2015のオープニングで披露したパフォーマンスでは、会場にいる群衆の中で詩を朗読しつつ、群衆を煽動するかのように場を盛り上げました。アーティストというよりも、俳優あるいは監督であるかのような振る舞いは、作品を産出するというよりも、観客を巻き込むことを目的とするものだと語っていました。彼によると、近年のインドネシア現代美術の傾向として、ジャカルタでは社会問題を扱う参加型の作品に取り組むアーティストが多く、それに対してジョグジャカルタでは形態をもつオブジェクト指向が強い作品を制作するアーティストが多いと説明してくれました。

インドネシア・ヴィジュアル・
アート・アーカイヴ (IVAA) 

2015.11.19

米田 尚輝

1999年に設立されたジョグジャカルタのアートアーカイヴで、資料はオンライン情報と印刷物とで構成されています。IVAAは、書かれたもの、話されたもの、映像資料をつうじて、インドネシアの美術史を、そして美術の専門家間の関係を構築することを目的としています。主要都市だけでなく、公的機関が眼を向けてこなかった地方都市での出来事も対象とし、包括的に芸術活動の資料を収集しています。2000年頃まではソーシャリー・エンゲイジド・アートと呼ばれる作品形態は今日ほど世間に認識されておらず、作品が物質として残らないがゆえに歴史的に記録されにくいという問題が現在において浮かび上がってきました。また、オルタナティヴスペースやギャラリーなどが新たに設立されるにつれ、アーカイヴの整備が急務となったと言います。とりわけ2007年にファラ・ワルダニ(Farah Wardani 、現ナショナル・ギャラリーシンガポールのアーキヴィスト)がディレクターに就任してからIVAAの事業は急速に拡大し、その存在はインドネシアの現代美術においてますます重要なものとなっています。

チェメティ・アート・ハウス

2015.11.19

米田 尚輝

インドネシア出身のニンディチョ・アディプュルノモ(Nindityo Adipurnomo)とオランダ出身のメラ・ヤルスマ(Mella Jaarsma、1960-)の2人のアーティストによって1988年に設立されたジョグジャカルタのオルタナティヴスペース。インドネシア国内外のアーティストを紹介しています。1988年に作品の展示、ドキュメンテーション、現代美術の普及などを目的にチェメティ・ギャラリー(Cemeti Gallery)として出発し、その活動は1995年にはチェメティ・アート財団(Cemeti Art Foundation)と名称を変えて発展していきました。さらに、チェメティ・アート財団は目的を細分化するため、ドキュメンテーション、教育、情報アーカイヴを専門的に扱うインドネシア・ヴィジュアル・アート・アーカイヴと、展示、アートプロジェクト、レジデンス、アートマネジメントに特化したチェメティ・アート・ハウス(Cemeti Art House)とに分割されました。今日では、チェメティ・アート・ハウスは年間に10本程度の展覧会を企画しており、レジデンスプログラムも提供しています。

調査リストは
どのように作成されたか

グレース・サンボー

今回の調査ではインドネシア出身の私が、面会すべき人々や訪問すべき場所のリストを作成したので、その背景について説明したいと思います。
アート作品の買い付けや転売を目的に訪れる人には「狙い目リスト(usual susupect list)」というものが存在します。一方、調査を目的に訪れる人が持つ別の「狙い目リスト」は、インドネシアの最新の現代アートシーンが、どのように見られているかを簡潔に示しています。
インドネシアは非常に大きな国です。ASEAN全体から見ると30%の国土と40%の人口を占めています。しかし、現代アートシーンの発展は、次の特定の都市で見られるのみなのです。優先度順に、 (1) ジャカルタ、バンドン、ジョグジャカルタ (2) スラバヤ、バリ、スラカルタ、スマラン (3) パダン、アチェ、マカッサルとなります。大半は(1)のみしか訪れませんが、インドネシアの文化・観光省はこの3都市を「ゴールデントライアングル」と呼んでいます。
さまざまな組織を通じて日本は、インドネシアの近現代アートの分野での文化交流に着目し、力を注いできた最初の諸外国の一つと言って差し支えありません。このことを念頭に置きつつ、SEAプロジェクトの主旨が1980年代以降のアートについて調査した成果を展覧会で見せる点にあること、そして対象となるアート作品の大半が日本から(または日本を通じて)国際的な知名度を得るようになったことを踏まえ、上に挙げたような通常の「狙い目リスト」については考慮から外しました。
私たちの訪問時、3つのビエンナーレが開催中でした。ジャカルタ・ビエンナーレ、ジョグジャ・ビエンナーレ(Biennale Jogja)、そしてジャティム・ビエンナーレ(東ジャワビエンナーレ)です。そのような時期にインドネシアを訪問すれば、ビエンナーレに参加するアーティストたちが多忙をきわめていることが想像されます。しかし私は、訪問を開催中に合わせることで、調査チームとアーティストたちに出会いが生まれ、ビエンナーレの会場で彼らと直接対話をする機会を持てるのではないかと考ました。
2015年8月、初めての顔合わせとなった企画会議の後、私たち東南アジア出身のキュレーターはある依頼を受けました。SEAプロジェクトのために共同で作業を行いたいと考える、1980年代以降現在までの活動が今日的な意味を持つアーティストのリストを作成することです。このリストが全キュレーターによって読まれ、研究されることを想定して、私は意図的に「狙い目リスト」に入るようなアーティストとの面談を避けるよう努めました。私たちは可能な限り幅広い視野をもって検討すべきであると考えたのです。アーティスト・コレクティヴやアーティストの選定については、協力的で、アートとは無関係の人々との交流を試みてさまざまな実践を行っている若い人々に着目しました。共同体志向で協同的なコレクティヴによる実践は、彼らが自己批判的かつ変化を求めているという意味で、さらに成熟していくと考えたのです。

Special Thanks

アグン・クルニアワン | Agung Kurniawan
アグン・フジャトニカ | Agung Hujatnika
アリア・スワスティカ | Alia Swastika
アンタリクサ | Antariksa
イメルダ・セトクスモ | Imelda Setokusumo
エース・ハウス | Ace House
XXラボ | XXLab
エニン・スプリヤント | Enin Supriyanto
FX ハルソノ | FX Harsono
エリ・ルクマナ | Eri Rukmana
カット&レスキュー | Cut&Rescue
グナワン・セトクスモ | Gunawan Setokusumo
栗林 隆
ジャカルタ・ウェスティッド・アーティスト | Jakarta Wasted Artists
ジョンペット・クスウィダナント | Jompet Kuswidananto
スナルト・ティノール | Sunarto Tinor
スラバヤ・テンプ・ドゥルゥ | Surabaya Tenpu Dulu
セルバック・カユー | Serubuk Kayu

トーマス・ベルグィス | Thomas Berghuis
ナターシャ・アビゲイル | Natasha Abigail
ナターシャ・シドハータ | Natasha Sidharta
ニコラ・ブリオー | Nicolas Borriaud
ネム | NEMU
バクダパン | Bakudapan
ホロピス | Holopis
マニック・ストリート・ウォーカー | Manic Street Walker
メラ・ヤルスマ | Mella Jaarsma
メラニ W. セティアワン | Melani W. Setiawan
メリッサ・アンジェラ | Mellisa Angela
ユスティーナ・ネニ | Yustina Neni
ユストーニ・ヴォルンティーロ | Yustoni Volunteero
ヨナハ・イラワン | Yohana Irawan
リナ・コスワラ | Lina Koswara
ルディ・アキリ | Rudi Akili
レオンハルト・バルトロメウス | Leonhard Bartolomeus
ワフト・ラボ | WAFT Lab

Research